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お知らせ

2019年04月28日

愛染双身大聖歓喜天大祭(夏の大祭)のお知らせ 

 

 

 

【期間】

 

六月三日~六月十九日迄

(旧暦五月一日~五月十七日迄)

 

 

【申し込み期間】

 

五月五日~六月十日迄

(旧暦四月一日~五月八日迄)

 

 

【品目】

 

上品…五十五万円 中品…三十三万円 下品…十一万円

 

 

【徳典】

 

秘法希望者並びに仏像開眼希望者は

大祭期間に入法する事が最も良いとされています。

 ※但し厳選有り。

 

 

 

【趣旨】

 

 

夏の大祭は、聖天教を開基するに至った

兆象大宰が、ご本尊愛染大聖歓喜天の偉大な霊験を初めて頂いた日を

記念し、ご本尊様に心より感謝を届けるという

そんな聖天教にとって最も重要な行事です。

そして、令和元年。

改元に日本中が歓喜に沸く今年

計らずもこの喜ばしい歳は

聖天教にとってこの重要な行事を旧暦で祝うという

初めての試みとそれは見事に重なったのです。

誠に今年の夏の大祭は

ある意味奇跡的な夏の大祭になりました。

 

ご本尊様ご降臨の日以来、兆象大宰はもともと類まれな霊能をもっていた

という因縁も重なり、ご本尊様との密接な交信の日々は

更に血縁の深まりの度を極め

遂にはこの現代に於いて、その神通と神霊の大いなる力により

日本ばかりか、国の枠を超えた数多の人々を導いてきたのです。

 

私共信徒に至っては

今日この日に至るまでは、

尚の事

教主の神通に宿る本尊愛染聖天の生きた力の奇跡を

現実に何度も目の当たりにして来たのが事実です。

 

信徒の方々もこれは同じ思いだと思いますが

私がもし、いち信徒という立場を離れ

客観的かつ冷静にあのような数々の不思議を実際に

肌で体験したとしても

「理論的には説明の付き辛い出来事が起きただけだ」

などと落ち着いて捉える事など到底出来きはしません。

 

愛染聖天様はまさに生きているのです。

 

このように常に絶やす事無く生きた神の足音と吐息までも

聞こえて来さえするような団体は

現実にこの日本には聖天教しか存在しません。

 

神仏には寿命があると云われます。

ともすれば科学の発達により人々が神々をまるで忘れ去れかけている

この現代社会に於いて私達は神々の不在を感じずにはいられません。

 

しかし、この聖天教だけには

しっかりと神が生きているのです。

それを感じ、日々勇気を頂く事が現実に出来るのです。

 

そして

私自身もそれを実際に深く感じ体験したからこそ入信したのでした。

 

そしてその感動は今に続いています。

 

このような尊くも有難いご本尊様、愛染大聖歓喜天様が

「その大いなる功徳千年栄えるぞよ」

と仰られ、ご降臨された喜ばしい日を

開白から結願までの十七日間、信徒一丸となってお祝いし

ご本尊様への日頃の御礼と、これからの成就を大いに

また真摯に祝う事を趣旨とした、

「聖天教夏の大祭」は聖天教で最も重要な行事なのです。

 

 

聖天教本部理事 兆象千宰

※教主兆象大祭は2019年現在に至るまで

数々の予言を現在まで的中させる偉業を達成させており、

台湾大地震、豚コレラの蔓延などの的中などを記憶に新しい処です。

確認は教団HP参照

 

 

 

【教主からの抱負】

 

 

まず、今年の夏の大祭は私がこれまで執り行って来た

どの夏の大祭よりも慶事であり且つ

愛染聖天様の導きを感じずにはおれない因縁めいた

大祭になった。

 

なぜなら

「これからは旧暦で全ての行事を行え、私の神力の象徴である

太陽と月の力を阿吽の呼吸のように取り込め」

という趣旨の御言葉を御本尊様から頂いて行事一切を

旧暦に変えてから迎える

聖天教にとって初めて夏の大祭と

五月一日から始まる令和元年が見事に重なったからだ。

 

私はこれはとても偶然に思えない。

 

日本にとっての喜ばしい記念すべき日と

聖天教にとっての最も重要な行事の歴史の中で

特に記念すべき日となるであろう

旧暦での夏の大祭という記念日が見事に重なったのだから

不思議である。

まさにこれは神の御仕組みになったことであり

私は、今年の夏の大祭を何かの天命と感じているし

大いなる私達への

御本尊様の功徳だと深く感じている。

 

千宰も趣旨で説いていたが

夏の大祭はもう私が説明するまでもなく

聖天教にとっても

御本尊様にとっても

絶対に欠かしてはならない

最も大切で重要な行事だ。

 

私が、まだ至らなかった頃、

山中を散策中に突然数々の神言とともに、

「お主の宝珠を少し借りるぞよ」と御本尊様が示現啓示なされた

あの日以来

それまでの私は霊感があるとは言われた事もしばしば

ありはしたが、現在のように

やれ「日本一」「世界一」

「他に勝る優れたる霊能の持ち主だ」など言われた事も無く

特別優れたものは、私には全くなかったように思えるのだが

しかし、「前世、来世の運命だ」と御本尊に云われたその日から

今日に至るまで、どう考えても頭を傾げる程の不思議に見舞われ続け

気付くと、上記のように云われるようになっていた。

予言、奇跡の導きも当たり前のようになり、世間からも

そう思われるようになった今を振り返ると

やはり、全ては

あの日、あの時の神霊体験からはじまったものであり

その日をもって、聖天教が生まれたといって良いのだと断言できるのだ。

 

不思議な事に

聖天教や私に何か悪さをしたものは

私が何もその人間に罰を望んでいなくても

ある者は恋愛に敗れ自殺したり、事故死をしたり

財産を失ったり、大切な家族や職場を失ったり

としてしまう。

 

私が聖天様に許してやってくださいといっても

それは止む場合とそうでない場合があり

ただ一つ言えるのは

まるで私を聖天様ご夫婦は子供のように思って下さって

いるようであり

また、私も本当の親のように思えてならないほど

私の味方をして下さるという事だ。

 

断ち物や罰についてもである、

 

過去沢山の行者から一般の人間まで

聖天様の断ち物や決まりを破った事で

大変な障礙を受け、生命を彷徨ったり、ご家族を失ったりした

身の毛もよだつ恐ろしい沢山の出来事を私は見て来た。

しかし私と云えば

その神通と神霊の大いなる力により

聖天様から沢山の功徳を頂く事はあっても

例え何の悪さをしたとしても一切怒られた事が一度も無いのである。

私よりまじめで心優しい信徒様や人間であっても

そんな愛すべき人にまでも、やはり破った者全てに

聖天様というものは

実に恐ろしい、まるで憎悪まで感じる

厳しい罰をお与えになるのにである。

 

私は御本尊様に本当の血の通った親の深い愛を感じてならない。

 

しかし、このような聖天様の深い愛も

この私が体験した、あの不思議なご降臨の体験以来

その有難い御縁と御恩に対し

全身全霊を掛けて報いて来たからなのだと思うのだ。

 

私が先日言葉にて教化した凸と凹の話を思い出して欲しい。

まさに

私達が生きるこの凸と凹の曼荼羅の世界は

凸と凹が無限に繋がり構築されている

まさにそれは

「縁」そのものである。

 

この世界は「縁」で出来ているのだ。

 

そして聖天様、要するに我々の奉ずる

愛染聖天様との縁は

これまさしく

有難い「御縁」である。

 

凸と凹の在り方を知らねば、言葉でも説いたが

聖天様の本当の世界が見えて来ない、

「縁」も同じである。

これを大事にしなければ

縁は疎遠になり

やがてそれは

まるで見失って見えなくなってしまうものだ。

 

聖天様との有難い

「御縁」はなおさらの事だ

これを

至らない一人の人間として心から

敬い、尊び

大事にせねば

やがてその光ある有難い縁は

自分にも聖天様にも

まるで消えたように失われていってしまうだろう。

 

「恩」もまた然りである。

神と人間には

導かれるを欲する至らずの霊体という立場と

導くを宿命とする大霊体という立場という

凸と凹の関係がある

この教え教えられる縁の関係は

全て「恩」というもので繋がっている。

 

「恩」

とは受けるものであり

それ返してこそ成長していくものだ。

 

しかし、この「恩」を受けながら

上記の縁のように

粗末にしていけば

「縁」は途絶え、それまでたまりにたまった

恩という功徳の幸せは

その人間を増長させていただけのものとなり

逆に悪い心へと変えていってしまうだろう、

まさに「恩」は、気をつけなければ

頂いた分だけ人間を蝕む毒に変わるのだ。

 

そして聖天から頂く有難い「恩」とは

これまさしく「御恩」なのである。

 

これは無碍に出来るものではない。

 

神から頂く「御恩」とは

人間にはわからないうちに

まるで太陽を覗くとチラチラと

見える細かく降り注ぐ塵のように

知らず知らずに頂いているものである。

 

私は

この聖天との有難い

「御縁」と「御恩」を

誰よりも大切にして来たつもりだ。

 

信ずる道には、

信ずる心には

雨の日も風の日も荒らしの日も

それはそれはあったし

一人で聖天教を開基した

私には

上記に記した

御本尊の愛ばかりの他に

苦難とよべる事も多々あった

しかし私は

そういった時でさえ

御本尊に対し、深い「御縁」と「御恩」を

見失わず、そういった苦しみを

聖天の功徳へと変えていった。

 

 

だからこそ

だからこそなのだとおもう。

私があのご降臨の日以来

変わらぬ、いやそれ以上の

御本尊様の沢山の愛を

頂いているのは。

 

そして大祭とは

日頃お護り頂いている

神々にこの「御縁」と「御恩」に報いる

大切な行事なのだ。

 

令和元年、旧暦で初めて祝う

今年の夏の大祭は

聖天様の霊的な深い意味がまさに強烈に秘められた

行事になった。

 

このような行事にあたり

 

我々は、何を差し置いても

心を一つにして、また常日頃の覚悟をはるかに超え

この一年の聖天様への

「御縁」と「御恩」の全てを

御本尊様を祝い、尊び、祈り、感謝し、奉ずる事で

新たに、また更に

その「御縁」と「御恩」を

強く強く頂いていかなければならないのだ。

 

私のこの度の夏の大祭への意気込みは己でも

今まで感じた事が無い程それはそれは強いものである。

だからこそ

どうか信徒の皆様方も

私と同じような気持ちのあり様をもって

この記念すべき大祭に臨んで欲しいものである。

私は、聖天教教主として

心よりそうのように願っている。

 

 

 

合掌 聖天教教主兆象大宰

 

 

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