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お知らせ

2019年06月02日

昇天

 
 
私は今日
令和最初の、そして聖天教が
旧暦を使用して初めてという
大変特別な夏の大祭を迎えるにあたり
 
その喜ばしい行事が
信徒の皆にとってより大いなるものに
なるようにすべく
大祭直前にあたる今日、
前回、凸と凹の話により決着を見せたはずの
歓喜天のオーガズムの奥義を
より昇華なさしめる教化を伝えたいと思う。
 
これは聖天様に仕える者の心と魂を
より荘厳させるばかりか
これを体得した者の眼下に広がる世界を
美しく輝かせ、
これまで愛染聖天信仰に於いて、様々に
培ってきた悟りを
より一層深めさせ意義ある宝に成さしめる
ものだ。
 
では説いて行きたいと思う。
 
皆は心の中に聖天様という神を、
要するに愛染聖天様という神様を
常に抱いているはずだ、
それは私もそうである。
しかしそれは私達聖天教の者だけだろうか?
いやそれは絶対に違う。
あなた方が聖天教に出会うずっと
以前を思い出してみても
判ると思う。
いや、やっと言葉を覚えたであろう時まで
遡ってみればそれは確信に変わると
思うのだ。
そこには
名前など知らねど
この世に生を受けた時から
漠然とした神様というものを
意識し
そして祈る心が咲き誇って
いるという事を。
 
国籍を超え、人種を超え
人と生れし者全ての心に
その心は咲き誇っているのだ。
 
そしてそれは人間だけには
留まらない。
動物を飼った事がある者は
わからないだろうか?
言葉が通じないはずの
種の違う動物が
伴に暮らしていると
今何を考えて、何を欲しているのか
どんな感情にあるのか
解かるようになるし
人間は、また人間の側ばかりではなく
動物の方も
もっと沢山の心を知ろうと
深め合う事を。
そして
飼い主が悲しい気持ちになった時など
皆経験しているはずだ
決まって慰めにに来てくれる事を。
不思議なもので彼らは
私達人間より知能が劣っているはずなのに
私達よりはるかに
心は清らかであり、情に於いて勝っている
 
このような事が出来る生き物の心に
神がいないはずが無い。
 
そしてこのような生活体験での
道理ばかりでは無く、
私は己の祈祷で感得した体験により
それが判るのだ。
そうである
全ての生命に
神はいる。
いや厳密に云えば
意識がある生命
無意識の生命の如何を問わず
神を祈る心があるのだ。
 
どうであろう、もう何度も
言葉で教化しているので
我ら聖天教の
世界観を敢えてここでいちいち
説明は割愛させて頂くが
 
愛染聖天を中心にした
われら聖天教の曼荼羅世界に
これを照らし合わせてみなさい。
 
愛染聖天を中心に
あらゆる生命が
あらゆる意識をぶつけ合い
願い合い、祈り合い
宇宙の愛を智慧を奇跡を作り出し
深め合っている様を
 
何万光年何十億光年何百憶、
限りない無限の世界を
無限の愛がそれを創出して行く様を
 
私達生命はその中で何度も
咲いては散りゆく事を繰り返す
美しい愛という生命の花なのだ。
 
だからどんな生命でも
細胞でも原子でも
寄り添い合い、愛し合う
それ故
それに逆らった行動をしてしまった時などは
激しい反発や痛み
心には罪悪感と悲しみが生れる。
 
この愛の法則こそ
私が以前、言葉の教化にて
私の真言の唱え方、在り方を
説いた時に書いた。
 
全ての真言を統括する存在
真言の事なのだ。
 
これを密教では
阿でありバンであると私は悟っている。
 
ようするに先日説いた
凸と凹である。
 
話がまたそれそうになった来たので
元に戻す。
 
上記で説いた
一切生命の全ての心中に
神を祈る心があるのだが
すると必ず皆には
以下の疑問が生れてくるのではないだろうか?
 
では私達の宇宙世界の中心におわします
聖天様の心には
何を祈る心があるのであろうか?
 
果たして
一切生命を祈る心だけで溢れているばかり
なのだろうか?
 
私達は神を祈り頼る心ばかりか
横道にそれようとしても
悪心に落ちようとしても
神様という漠然とした崇高な
存在を知っているからこそ
それに向け何度でもやり直して行けさえもする
こんな頼もしく有難い事は無い。
何故なら
裸一貫になり
誰に裏切られ一人になろうが
神を祈る心だけは絶対に
あるのだから、
でも聖天様はどうだろう?
御自分が神であられるばかりに
頼る処が無いとしたら
とても不安であられないだろうか?
 
等等の極めて自然でありながら
難解な疑問をである。
 
しかし
私はその疑問に対する答えを承知している。
そしてその疑問に対し私は是非答えたいのだ。
何故なら
その疑問に対する答えこそ
今日のテーマであり
前回説いた凸と凹の思想を
全くもって荘厳させるものだからだ。
 
答えよう。
 
男天は女天を神と思い愛し
女天は男天を神と思い愛しているのである。
 
どうであろう。
 
聖天様男女は
上記でも書いたように
聖天様以外の一切生命が思うように
どんな時にさえ
心に神としてのお互いを思い愛し
どんなにそれようとしても
どんな悪手に落ちようとしても
お互いの崇める美しくも理想の世界に
向って祈り愛し続けるのだ。
 
なんという崇高で汚れなき
尊い愛であろうか
 
そして聖天様ご夫婦がお互いを神と
崇め合いながら
その愛を私達一切生命に対する
救済の愛を含めた
聖天教の曼荼羅世界に
照らし合わして見て欲しい、
 
どうであろうか
そこに存在するのは
永遠に続く
神の輪廻の世界ではないだろうか?
 
私達は神を思い
神は私達を思うばかりか
私達を内包する
男女天が
またしても
神として曼荼羅の中心に坐しながら
愛し合う世界。
 
これこそ完璧な神の永遠の世界である。
 
重要な事は
この曼荼羅の中心に座す
聖天様ご夫婦は
お互いを天上天下最も尊崇するただ一神の
神としてそれぞれがそのように存在を定義し
愛し合っているという点なのだ。
 
これを
これまでに教化した
オーガズムと凸と凹の話に
当てはめて欲しい。
 
その聖天の男女の関わり合いは
あまりにも
崇高な存在、思想に
昇天、昇華するはずだ。
 
そして信徒それぞれの
悟りには
これをたよりに一層の深まりをみせるはずだし
 
神が神を愛してこそ
はじめて生まれる
この世の永遠で途切れる事のない
輪廻をはじめて感じる事ができるはずだ。
 
何より、
我々が行法、お勤めのみならず
他を愛し生きて行く時の理想であり
目標とせねばならぬ愛の形の模範が
この神と神とがお互いを尊敬しながら
愛し合う姿故に
そこにはあるのだ。
 
神さえも神を愛し祈る。
故に私達はその美しい崇高な愛の形と
喜びを正しく学ばなければいけない。
愛染聖天様はそのお姿で
そのような尊く清らかな愛の形を説いて
おられるのです。
 
 
明日から令和初めての夏の大祭が始まる。
どうかこの今日の教化を
今までの教えに加味し
それぞれの思いを昇華していって欲しい。
 
 
 
 
合掌 聖天教教主兆象大宰
 
 
 
追伸
 
 
皆知らぬのだ。
私が密教を修しながら
何故「愛」という真理を説くかを
 
この世にある全ての物質は
時には結び合い、時には離れながら
たとえそこが
真空にみえる空間にあって
ただ一個体になってしまったとしても
そこには目には見えないだけで
沢山の物質が隙間無く充満しており
厳密には実は他の物質と関わり合い
存在している。
 
愛とは単純に云えば関わりである。
 
要するに
分離や摩擦でさえ愛なのである
 
人の心もそうである。
 
夢に出てくる物質が
すべて人の脳、感情が作り出しているように
 
我々の心がこの世の物質を作っていると
聖天教では説く
 
ともすれば
 
我々の心は、全ての生命の心は常に
愛で溢れているのだ。
 
どんなに悲しんでいても
どんなに怒りに惑わされていても
どんなに喪失感に支配されていても
 
この愛からは逃れる事が出来ないのである。
何故なら心の全てが愛だからである。
 
その愛の世界に目を向けてみれば
わかるはずだ、
 
その世界がどれだけ無限で広大であるかを
永遠であるかを。
 
美しい絵画、歌、映画、景色、そして
恋愛、そして宇宙
私達はこの愛の真理に気付いた時
身近に広がるこのような愛を満たす
あらゆる芸術や景観さえ
それは絶えず変容し
私達に無限の美しい喜びを与えてくれる。
 
その愛の喜びの世界の中心にいらっしゃる方こそ
愛染聖天様なのである。
 
だからこそ私は「愛」を説くのだ。
 
愛こそ真理であり
愛こそ世界であり
愛こそ宇宙であり
愛こそ神、愛染聖天様であり
愛こそ奇跡、成就そのものなのである。
 
そしてその広大無辺の愛の喜びの世界の
素晴らしさを知る者が
我々、聖天教の信徒達なのだ。
 
夏の大祭は
その愛の真理を知る者に相応しく
聖天とそして私と伴に
この日本、いや世界
強いては宇宙の生命にある
負の心に覆われた
様々な心に
広大な愛の世界の扉を
開いてあげられるように
祈ろうではありませんか
 
※願いに貪欲な余り
功徳を頂いても
負のドアばかりを開ける
間違いを繰り返してはいけません。
常に成長し
この世界に目を向けなければ
やがては悲しみの世界に取り込まれて
しまうものです。
愛とは悟りでもあるのです。
 
 
 

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