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2016年05月29日

震災祈祷を終えて

四月に起こった熊本の地震は大変大きなものであった。

この未曾有の日本の危機に及び、

我々聖天教では

我らが一天一意の神と崇めます

御本尊様への一丸懸命なる祈りという形をもって

救済に臨んだものであったが

結果

私も非常に感動したのだが

震災後、一番懸念されていた、

被災地を襲った、暴風豪雨を見事に防ぎきり、

被害ゼロという大変稀有な成果を見た。

熊本の信徒からの沢山の感状の中にも

あったが、

我々が報道でわかる事より

現実では、非常に地盤ならびに状況等は危険な状態で

あったらしく、

熊本城も半分崩れており、

強い暴風雨などがきたらもう駄目だと云われていたそうであるが、

それがあの強い雨の中

不思議と大丈夫だったということ、

何より、

地盤の緩んでいる処に襲った暴風豪雨である、

ありとあらゆる場所にて懸念された

土砂災害も全くなかった事、

そして、何より

我が聖天教の九州の信徒様の中では

家の中の家具が倒れた等の方もいらっしゃったが、

直撃した周辺の方も含め、家が倒れた等の被害も無く

これも誠に不思議で感動する話なのだが

誰一人被害が無かったのだ、

東北の大震災もそうであったが、今まで数々の震災、大きな地震、水害等を

我々聖天教は信徒一丸となって乗り越えて来ました。

しかし、本当にこれは

まさに神力としか思えないのですが

見事にその被害を

全くゼロという

奇跡にて乗り越えているのです。

そして、その直接に乗り越えられた

直撃した等の

どの信徒様も

大変な不思議な体験をなさったと多々聞くにあたり、

思い返せばというより

いつもこのような奇跡に接して思い出してしまうのだが

 

奈良での99パーセントの確率で

風雨で土砂が決壊すると云われた状況で

信徒の皆さん達ての要望に応え

祈祷した折は

もうその時は絶望を超えた状況であったので

内心私はもう駄目だと思っていたのだが

なんと

それを奇跡をもって防げた事。

また、福島の原子炉建屋の爆発を防いだ時も

信徒様と供に、とても緊張し、

見事に成功したのを思い出します。

 

これは正逆あったので不思議だったが

とあるとんでもない方が

聖天様がお怒り申したら、

突然の竜巻でその家だけ吹き飛んだことや

 

鹿児島でその逆の竜巻により啓示とお守り、導きもあった。

 

9割、明日お亡くなりになると云われた方が

次の日に息を吹き返し、やがて全快に向かった事もあった。

そして

 

津波の奇跡。

 

等々、自分で今書いてみたが

「いつも思い出すのだ」といったものの

思い出しはじめると

不断無く、滔々と、

沢山、沢山、不思議な奇跡が

無限のように思い起こされ、

そして、その奇跡は

今も生まれ続けている不思議に

我が御本尊様から頂いた、奇跡を改めて

筆を執りながらも

回顧反芻の導きに

自然と手を引かれ出し

その有難さの悦に至ってしまうと同時に

感化落涙に及んでしまった。

本当に、本当に、この科学の世にあって

神仏が失われたという時代にあって

有難い事である。

 

そして、その聖天様の功徳への反芻の中

ふと、前にも申し上げたが

またもや気付き、改めて

感動して止まない事に

心を

やった。

 

それは

教主である私、兆象大宰と

聖天様のみが

これら奇跡の顕現した

現場にいたのでは無いという事

 

そこには

確かに、確実に

一人一人、一魂一魂

の信徒様の祈り、

あなた方、

いえ、

我が聖天教の信徒様である

あなたがいらっしゃったのです。

 

生きた神

我が御本尊様と

この兆象大宰と

この言葉を熱心にいま熟読なされる

あなたが

いらっしゃったのです。

 

そうとしか皆さんも思えないはずです。

 

我が聖天教が

何故

他の宗教、寺院に

いとも簡単に

その功徳が

勝ってしまうのか?

それは

やはり、この

生きた御本尊とその秘法を修する私と

あなた様方一人一人の、聖天様の教えに向かって

光り輝く

お互いを救い、

愛し合う祈りにあるのだと私は思うのです。

 

この三者の深い愛の心が

自然災害ばかりか

どんな苦難も導きに変え

奇跡を産み出しているからなのだと

私はそう気付くのです。

 

考えて見て下さい。

我々の聖天教のお約束事を

このような

厳しい制約のもと

聖天様、いえ、神仏を信仰する

篤信な信徒が

江戸時代など、昔はともかく

現代において

あるでしょうか?

 

私のところには

同じ信徒様が困っているから助けて欲しいという

希望が

毎日のように寄せられるが

一人の願い、状況を

沢山の皆で願う、

こころから

こころから

願い合う、

このような

強い団結と愛で結び合った

祈りの宗教、寺院寺社、団体が

他にあるだろうか?

 

世に、災害が起こったならば

同じ、教えの兄弟のみならず

万民の救済を

一丸となって

深く、深く

念ずるところが

存在するだろうか?

 

応えは否である。

 

そしてその問に応ずるならば

 

それは

聖天様の慈愛の有難い手の大地の中に

しっかりと

その美しい信仰心と供に

起立せしめる信徒

あなた様のいらっしゃる

 

「聖天教」

 

だけだと

私は、いえ、私達の奇跡をしっている者ならば

必ずそう答えるはずである。

 

そしてまたもって

本当の真の答えをもって応ずるならば、

 

聖天教も、

そして

私、兆象大宰も、千宰も

 

そして何より

読まれている貴方様、

 

貴方様も

前世来世も

聖天様に導かれ、そして選ばれた方なのであって。

私はそう思えてならないのあって。

そして何より

あなた様がそう思えてならないはずなのであります。

 

我ら三者が一つになり、全てを

変え、

道を切り開いて行く、

聖なる奇跡の教えの庭、

 

それが聖天教なのだという

悟り。

 

これが今回の震災の祈祷で得られた

何よりの

聖天様からの私にとっての

いえ、

聖天教にとっての

功徳でありました。

 

ここに

聖天教教主として、あらためて信徒の皆様に感謝を申し上げたいと思います。

 

続けます。

 

少し俗物的で

立場にもかかわらず、非常に拙なく思われてしまうかも

しれない、突飛でもない形容を元に

皆に話をするが

上記の事に関連して考える事が出来る事なので、

真面目に聞いて欲しい。

 

先日、親戚の子とアニメを見る機会があった。

そのアニメの題名はエバンゲリオンという漫画だったのだが、

ただの漫画だと思って内心軽んじて視聴していたのだが

驚いた事に

その最終場面、

世の中がサードインパクトといって

終わりと再生の場面を迎えるのだが

なんと

その場面が

あろうことか、

浴油の秘法の

油を御本尊にお掛けする場面

内面の実相に

場面の情景の在り方といい

その

インパクトのという考え方

の始まりと終わり

再生(奇跡)

主人公と女性との愛(聖天様と我、聖天様と信徒様、

我と信徒様、我と宇宙、宇宙と聖天様)

それを取り巻く空間の変容と許容が

まさに同じだったのだ。

作者が誰が知らないが、

もしかして、その人は

実は浴油の大家なのか、

またこのような世界に非常に興味があり、

そのような人間から見聞きをしたか、

それとも、科学的進歩というものが、

自然と浴油という

最高の呪術と真理と同じくしている事が

実証されはじめ、その流れが原作の思考に加味されたのか

私にはわからないが

誠に同じなものであった。

 

私は毎夜の秘法において

宇宙はわれであり、その確信である宝珠にお住みになる、

偉大なる人格、

いや、神格こそ

宝珠たる聖天様であって

それは

我々だけではない、宇宙一切、万物万有が持ち合わせている

魂の核、

それは自分であって、自分ではない、

自分だけと思い込んでいる自覚こそ不幸であり

この魂の核(聖天様=愛)に

人を赦し、浄め、導き、

愛を発露し

やがて、その愛を多への愛

そして我を育む愛へと成長させるという

心の開眼、成長を伴い

己の

三身の成す

愛の願望の光るであり、液体である

油と血と水を

浄めながら求め、

やがてそれは

究極の宝珠へと流れ込み

聖天様のいらっしゃる

神殿へと流れ込むのと瞑想、感想する。

 

その神殿に聖天様はいらっしゃる、

或る見方をすれば、御一人で

或る見方をすれば、それは我であり

或る見方をすればそれが信徒様であり

或る見方をすれば、女天様と男天様であり、

或る見方をすれば、男天、女天、我であり、

或る見方をすれば、男天、女天、信徒であり

或る見方をすれば、男天、我、信徒であり

或る見方をすれば、女天、我、信徒であり、

或る見方をすれば、信徒と信徒の愛する人

或る見方をすれば、信徒と信徒と愛する人と聖天様

或る見方をすれば、それはやはり重なり合い皆一つである。

そしてそれはやがて

八枚の黄金の蓮華の上で

御一人の宇宙一天の神の

深い一つの心が

その慈愛故に

二つに折り重なっている満足に気付くのである

この境地を知っているものは

常に聖天様は私のみが知っているのだと

仰る。

その境地こそ尊く、

これは

ことばでは伝えられない

至極の満足と

緻密な世界観からなる

私だけが持ちたる、

秘法の世界観なのである。

 

そして、この時より

聖天様へのいくつかの作業を終えて後

まさに

聖天様ならびに

信徒様、そして万物と一体になった時

秘密の真言をもって

油をお掛けするのであるが

 

私はこの黄金の蓮に上る時

聖天様の

偉大なる

無限の五種,五変の三昧耶を獲得しながら

(無限の導きと無限の思いと光と富満足、

無限の愛と知恵、そして無限の光である美しい勝利の身、そして

無限の霊性たる清浄にして際限の無い奇跡の愛の摂受)

その究極なる宝珠の霊性である。

無限の愛と浄化の力を感じ

その女天と男天が愛し合う

愛の五智四身の流れの

口(魂)をもってして

ウンの字たる軍荼利を感じ行ったとき

自在天なる身を、我が身と感じ

その内たるものが

無限なるがゆえに外存なりて

愛輝く一切曼荼羅の聖衆をもって

輝く刹那

召し引し縛し喜せしみ

拍掌舞儀ならしめる

喜びを迎えるに至り、

獲得する情景に

私の宝珠には

自然と

音も無く

 

聖天様の大呪が流れるのである。

 

ノウボビナウヨッキャシャ カシッチボキャシャ

タニヤタ

ノウヨッキャノウヨッキャ

ビナウヨッキャビナウヨッキャ

タラヨッキキャハリタラヨッキャ

しょうきゃかしっちしょうきゃかしった

せんちきゃらやそわか

 

これは

まさに聖天様の愛を交わす真言なのである。

この真言は故に秘法全ての体を表す。

 

二天二体は

愛を寄せ合い、

手を取りあい

面を寄せ合い抱擁し

もし、良き道に生きるのなら、あなたの望みを叶え

あなたのものになりましょう。

我は誓う、あなたの約束をまもり

あなたとの善道に

私は自身を捧げましょう。

さあ、愛し合い、奇跡を産みましょう。

 

とそのような内容の言葉を交わす

呪文である。

 

これは

お互いを捧げ、愛し合う

究極の愛の形を

顕しているのであって、

これはまさに宇宙の愛の

始まりと終わりを

全ての宗教、過去の大能力者が

その古書、聖本で説く

絶対的、神の始まりの真理

そのままを

 

これは非常に美しくも尊いばかりか

荘厳にし、聖なるものなのだが

 

我が聖天様の浴油の秘法の核には

この真言の体が流れているのである。

 

そしてそれは

浴油、至純の極みに至ったとき、

 

今まで、同一にあった

五智四身の宝珠の

存在が

それにより、

突然に

奇跡の胎動と共に息吹だし、

その油、光は

愛の奇跡たる成就の満足へと変容を向かえ、

バンの字たる

愛そのものと

己が体と宇宙の星々並びに一切の聖衆の

形の悟りは同一だという悟りを

得た瞬間、

 

滔々と新しき成就の油が流れ光り、

そして遡上し 燃え盛り、光輝き

宝珠となって愛燦々と

新しき世界を作りだすのである。

 

驚愕の清浄導く力と

以我功徳力、如来加持力、及意法界力、普供養而住と

宝珠全ての身と体、如来界会の道場に

遍く無限の光を満たすのである。

 

それはまるで

仏像の開眼法にて

四ケ所加持にて

大日の大徳を得

五ヶ所加持をもって

大日の大輪を咲かす如く、

 

今在った、愛の同一が

深い

灌油という

愛の好意にてまるで

別の世界を産みだすのである。

 

即ち,

求めあう、光、先に生まれ

その後に心なる光生まれ、

美しきその残像に光輝く清浄なる体生まれる

そしてそれは

愛ある故に

無限に求め合い、

同一の一つの世界に

同一ながらも愛し、楽しあう

無限の油たる、光、と体が生まれ

無限なるがゆえに

その増殖は我が魂にて

愛を深めれば、

銀河の星々の光の功徳となって

我に降り注ぐのである。

 

解り易く

人体に置き換えるなら

我々の体には何兆もの細胞があり

それは

全てにおいてDNAの核を持つ

それでいながら

頭の先から爪の先まで、

「自分」

という

人体の構成物として

繋がりの無い部位に至っても

足並みを揃え、

活動し生きている。

 

この働きの中で

漠然と

「自分」

と捉えながら、何兆もの細胞核を調和をとりながら

生きる行為を

霊性と捉えるなら

その漠然とした

霊性そのものに

確実に実相として

存在しうる

偉大な存在を

聖天様とするのである。

そして

この霊性の中、

このような人体の細胞核の

有様を聖天法の世界観に

なぞらえるならば

その何兆もの別れた細胞核が

実は別れながらも、

聖天様という一つの核から

生まれ出でていると定義し。

実は、それは

本当は

なんの分裂も成してはいないないのだと

理解し、

この聖天様という存在に

真に気付き

それに願いをを投げかけれたならば

即座に

その何兆という細胞の核に

奇跡の愛の再生が生まれ、

それは

どこまでも美しい協調を

己の体内に示しながら

新たな、奇跡たる

体を成して行くと考えたらどうだろう?

こう例えたなら

理解しやすいであろうか?

 

私はこの世界観を毎夜、不備なく繰り広げる

その作法には

つくづく思うが

よく言う早い所作など無用である。

皆もここまで論じたら

わかってきたと思うが

丁寧に

その意味をしり、

灌頂で受けたその裏にある真理を

己の魂が費える時まで

新たに発見求め続ける事こそ

真実の呪術の姿なのであり、

私はそう思うのである。

 

この境地を獲得すれば

祈りこそ全てを変える神秘の真相である

事に達観する。

この秘密を感じ得ないものは

よく、己が行動にてと

祈りの世界から、現実の世界の行動に

身を映して行く、

悲しいながら、今の宗教界が

全てそうだという事に

残念を憶えるからこそ

私は今

このような難解な世界を皆に申し上げている。

なぜなら、上記による

我ら聖天教三者の究極の愛の祈りの世界を

信徒皆の理解して貰う事によって、

この世を正しく、清浄に、成就実現

成しえて行きたいと私は思っているからこそなのである。

 

話は戻すが故に私の祈祷は

長い時間を掛けるのだ。

よく世間では

ホットヨガだの瞑想だの

スタジオだのあるが

では何故、そのようなところの祈りが

実像としての

奇跡や喜びを産まないのか?

それは

長じて

自分のみの救いをもって

自我を増長しながら

神たる宇宙に向き合うからなのである。

それは

無限の枠から外れ、燃料不備に陥る。

そして

己一人の世界は

我が教える聖天の教えの

ように

その瞑想の満足の始まり

から不足を生じるため、

我が成す

聖天成就の秘法の世界が導く

更に深い、深い、深い

長い時間、

つまり私のような

八時間に及ぶ瞑想、

時には途方もない長時間に及ぶ感応には

心身共に到達する事は出来なくなってしまうのである。

全てが未熟で浅いのである。

しかし、私にとって

その時間は

一瞬に過ぎ去るものであり、

また

無限に有するものであるのだ。

私は何年も

この修行を浴油を通し

一日数時間続けているのである。

そして獲得しているのである。

それ故、

その宇宙の愛の宝珠と

誰より一体になり

愛し合う私に

もし、呪いや調伏をかけたものがあっても

それは

絶対的宇宙の、清浄、愛を摂受する霊性により

その悪念は破壊され、その者の運命そのものに

恐ろしい呪いとなって跳ね返るのである。

これは我が護る、我が信徒にもこの御守りは常に

発動されているはずだ、

だから、お護りを感じるという信徒がいないという事は無いのだ、

そして我が聖天教の信徒は

我が聖天法の教えより学んで祈りという方法を持っている。

上記の

一丸となった

愛し、助け合う祈りという愛の法を持っている

故に

あなた方は、それだけに

自分よがりの祈りの者より

深い功徳と境地を得られる事が出来てしまっているのです。

 

何より、

我々は

支え合い、祈りあっているのだから

 

アニメの主人公二人は

女の子は男の子と世界を救う為に死の淵に至り

男の子は

ただ一人の女の子を救う為に

自分を投げ打ち

世界を投げ打ち

そして

二人は究極の愛の中

手を差し伸べ、

大呪のように

面を重ね

抱擁し、

そして世界は

サ-ドインパクトを迎える。

一切聖衆たる天は

二人の抱き合う愛の如く光を放ち

二人の頭の頂上には

無限の霊性の宝珠が

開眼し浮かび上がる、

世が再生の時を生もうとする瞬間

まるでそれは

浴油で

信徒の心願の成就が生まれる瞬間

そのものなのであった。

 

さき程も核の話をしたが

宝珠とは

実は、別で在りながら

一つなのである

故に

この宇宙は我ら個々一人の実は物なのである。

そしてその持ち主の実像は

聖天様そのものなのである。

 

アニメでは主人公二人の愛の為に

世界までもが変わってしまった。

我儘に思えるこの物語は

実はこの二人の我儘にも思える

愛こそ、これこそが

宇宙の真理でなのある。

我が聖天様から

私が頂いた、絶対的宇宙の真理なのである。

 

要するに、これより長じて

結論するならば、

宇宙の奇跡は

信徒である

あなた一人の為にあるのである。

 

ただし、

そこに

わが身を捧げる深い深い

愛が存在するならばである。

 

そしてそれが我が

浴油なのである。

 

これこそが上記の三者の祈りに

関係してくる事であり

非常に驚愕する真理であるのであり

ここで漫画を照らして論じて来た

帰結を

皆に申し上げたい。

 

宇宙の真理の庭の中心で

黄金の蓮華という

複雑交差した次元の愛の花が

一輪、燦然と咲き誇りながら

一人のみの一つの宇宙に在りながらも

二つの愛が存在し

尚そこで魂を寄せ合い

愛を育み

大宇宙の未来を変容する

奇跡の光を放ち続けている、

そう本当に思って欲しい。

そして

我が聖天法において

毎夜、

幾多の信徒の

愛の心、祈りが

私の魂と供に

その黄金の蓮華の上に上り

愛の光を掛け合うのだと

想像して見て欲しいのだ。

 

そこには

宇宙一つ一人である世界の中に

確かに一人で在りながら、

幾多の無限の一人が

祈り合い、愛し合い、

重なり合い

時間と空間をも超越する

重力をもった

恐ろしいまで驚愕せる

深い宝珠が

毎夜、私の心を中心に産まれ、息吹

そこにて

絶えず、真理の不思議と

美しい成就とを

製造、産み続けているのだと

云うことを

想像、実感して欲しいのである。

 

そして

そうする事によって

そのように

お互いが

助け合い、愛し合い、支え合う事の

祈りの力と尊さが

我が教団には存在し、

存在するからこそ

どこにもない

奇跡の導きが産み出されていると

いう事を

まざまざと

更に

想像、実感してみて

欲しいのである。

 

それをやがては

私の心の中で毎夜繰り広げられる

浴油が

それであるのだと

達観として

至ってみて

欲しいのである。

 

そうするならば

必ずや

そこに

それぞれが感想してやまない

情景と帰結が

産まれ見えてくるはずである。

聖天という宝珠が成す

浴油という

究極の愛の救済、

神による救済の行の真の姿が

ありありと

浮かび獲得できてくるはずである。

そしてそこにある

究極の情景とは

我の魂、心、体の

中にて

三者の魂が宇宙一つの蓮華の中心にて

重なり合うという

絶対的な神との真理の

遭遇により

なされる世界

情景であり、

それは

全世界、どの浴油を行ずる

人間の世界よりも

美しくも感動的であり

だからこそ

あなた方の深層に

常に隠れている

宝珠とその油は

我と

供に毎夜ある故に

美しくも感動に満ち溢れながら

常に清々されていると云う事実を、

悟って欲しいのである。

そして

長じて

それこそが

そこに於いて

神による究極の救済が常に織りなされて

いるのだという様に至れば、

その究極の美の情景を

皆は心の実感と供に

必ずや

獲得できるはずなのであり、

私は是非にも

この情景を

皆に

獲得してみて

欲しいのである。

 

まとめよう、

 

多なる愛の魂が

願いという霊性によって

重なり合い存在する

次元の狭間に於いて

毅然として

確実に存在する

たった一つの宇宙にある

たった一つの

魔訶不思議な

宇宙の魂である

聖天様という神の存在を

私は皆に実感をして

獲得してみて欲しかったのある。

 

これが

私の申し上げたかった事の

帰結であり、

私は、これを

漫画という一見教主としては

拙くも見えてしまうかもしれない

媒体を通し

信徒の皆様に是非にと

伝えたかったのであり、。

 

美しい究極の神の救済の情景と

それによりなされる美しき功徳と

信徒それぞれの美しき祈りの形と

それを感じる事により

獲得されるであろう

自信と力を

私は皆に伝えたかったのある。

 

上手く伝わっていたら

嬉しいです。

 

話はまた、いつものように長くなってしまったが

最後に

 

スタップ細胞が存在した。

またも予言が、

我の口から発する

聖天様の言葉が的中した。

しかし、何か

この的中は

世の触れてはいけない

恐ろしさを感じるので

これまでにしたい。

実は

これまでもにも

信徒の皆に言うの憚ってしまう

怖さを感じる

予言が沢山在る。

そして

それは恐ろしい事に

大体全てが的中している。

しかし、

私は、常に

敢えて

そのような事柄には

眼も遣らず、

一切を避け

ただ一念に

聖天様と信徒様との

私の使命である

聖天教の道を一生歩む信念

に身を置くようにしている。

 

そしてこのような予言が

的中した時

必ず私は

こう思うのだ。

 

この暗い現世を

聖天様並びに信徒皆と供に

聖天教という

光の道標を掲げながら

愛の活路を見出して行きたい。

 

そう

こんな予言を的中させる度に

私は常に自分に問いかけそう思うのである。

 

合掌 聖天教教主兆象大宰

 

 

追伸

九州の信徒の皆様の無事、本当に、本当に良かった。

私と御本尊様は常に皆さんを護っていますよ。

 

 

 

 

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