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お知らせ

2015年01月02日

2015年新春の言葉と今年一年の予見

    2015年、無事年を越え新たな一年の門出を迎えられた歓びと深い御礼を

先ずは信徒と供に代表し、我が御本尊様に心底より申し上げたい。

そして、信徒の皆様もそれぞれ

 我が御本尊大聖歓喜自在天様有難う御座います。

去年以上のお護りと導き、そして奇跡を下さいますようお願いします。

といった御礼と新たな祈願の言葉を、年初めになるお勤めでは

ある者は言葉に発し、ある者は心内にて尊天様に向かって心の籠った愛ある言葉を献じて欲しい。

 

尊天様の本当の姿はあらゆる膨大な知恵と莫大なエネルギ-、そして

自在奇跡の想像力をもったこの宇宙を常に創造し続ける無限の愛の根源、

要するに絶対的に強烈な愛の塊である。

その塊は、宇宙全体そのものでもある。

この奇跡の愛の力に、我々人間が同調すると尊天の奇跡が頂ける。

 

私が沢山の行者、能力者がいる中で、何故世に稀な奇跡を起せるのか?

とよく沢山の人に聞かれるのだが、

私には何の力も自分では感じたことは無いのだ。

逆にまるっきり無いのだとおもっている。

恐らく、私が起してしまい、自分でも驚かされてしまう事の不思議な成就や、奇跡、霊的現象の数々の力の出所は、私ではないのだ、尊天様なのだ。そして

その尊天様の愛のお考えの在り方に、同調する心の在り方をしっているからなのだと思う。

確かに私はお人好しと言われるが、ただそれだけではない、

我が御本尊様から頂いた心の在り方を日々実践している一人だからなのだと御本尊様は私に祈祷を通し、直接語り掛けられるのである。

確かに私の先祖は中条家長といって埼玉県のある歴史ある大きな聖天様の寺院を開いた人間の血族で、その寺院の隣にはご先祖様がお住みになっていた館が史跡になって観光地になっている。岩手にある南部家の聖天様の祈願寺も私の祖母の実家が一門の長として創建している。

そして千宰の先祖は私の先祖を謀殺している。

話が千宰の先祖までに及ぶと論点が少しばかりずれてきてしまうのだが、

これは魂の因縁であって、功徳を頂けるものとは全く関係が無いのだ。

神仏の世界、ようするに次元を超えてこの宇宙には人も物も

何一つ分け隔ては無く、あるとすれば個々のもって生まれた形であって、その形の意味は全て尊天様の愛の塊に帰属する愛そのものであるのであって、これに気が付き一瞬でもその愛の心を開花させた者は、当然ながらこの世全てが愛の塊である尊天の姿なのだから

いままで自分のあらゆる方向で別け隔てを作っていた皆の心に尊天の大きな愛と智慧と自在が流入し、たちまちに成就を得、幸福を獲得するのである。

万物もしかり、己は愛の賜物という、全てが協調しあい、愛し合い共生していくために欠かせない役目を知り歓喜しだすと、輝くのである。

太陽、月、星々、銀河の藻屑にいたるまで、それを知れば、また知る度に

その輝きを増させるのである。

科学では協調しあい宇宙に星々が浮かんでいる事は重力だけでは説明がつかないというが

星々もそれぞれに魂があり、その役目は愛の共生なのだという

尊天の言われる真理から見てみると、まるで愛し合い、助け合う如く浮かんでいる星々への疑問がたちまちに霧消し、理解できるのではないだろうか、これを祈祷にて知らしめ大宇宙の愛のを体現させる作業が

加持という行為なのである。話はそれたが

それ故私はその実践として、僅かな感謝の言葉でも、その僅かな間に彷彿とさせる愛をそれぞれに生まれるであろう事を望み、上記にての心の籠った感謝の言葉を献じてくれるよう頼んだのである。

必ず尊天はその瞬間のその分の愛の対価を信徒の皆に下さる事であろう。

私は今年の師走またも不思議な体験をした。

尊天に聖天教を御守り下さるよう深く祈願した日の事、

就寝していると男天様が宇宙の星々の中からインドの王様の服を来て

雲に乗って、左右に蛇行しながら飛来し、一杯のりんごの蜂密を飲み干せと言われた。

飲み干した私が目を覚ました時。家中にガタガタとうるさい音がしている。

私は目をこすりながらその音の発源に向かうと、それはシュレッダ-だった。

眠りまなこを擦りながら私は止めにかかり不審に思った、

この機会のスイッチの位置はどうみても物凄い力がないと

偶然では動かないはずなのに。

私はそう思いながらも寝所に戻り二度寝をしたのだが

また夢を見た。

今度は見知らぬ高僧が現れ

「お前は象の神様の霊魂に取り憑かれているんだ。」

と、その方が叫んだ。

私は驚いて三体の厨子の真ん中を見たその時

黄金の厨子の扉が開き、そこにはまた男の聖天様がいらっしゃたのだ。

そしてあれよあれよと私を厨子に吸い込こんだ。

そして吸い込まれたと思ったら私は目が覚めたのだ。

起床後浴油を済ますと、千宰からシュレッダ-の直後、おばけかもしれないとメ-ルをしていた私への返事に電話が来た。

私は千宰に電話で説明をしながら、今度ははっきり目が覚めた状態でシュレッダ-のスイッチを見やり、そこで驚愕した。

ひとりでに動いたスイッチの場所には、

「正転」

セイテンと書かれていたのだ。

この摩訶不思議な体験の深層は私の悟る心に開眼するのみだが、

確かに尊天様がご自分の存在を私に知らしめられたのは事実である。

そしてこのような尊天の御来臨がなぜ私に起こるか?

その種明かしは、上記に記した愛を護持する事で出会う事が出来る尊天様との邂逅なのである。

しかし人は中々それが出来ない。

そしてそれが出来る人間ばかりが存在する理想郷、全てがそれに開眼する事が尊天の御誓願の目的なのであるから、それを実現するべく

下された思想が 想いを昇華させる為の

八愛の思想であり、八密の思想なのである。

だからといって一度に到達はしなくてもよい。

実践を繰り返し、何度かの昇華を体験すればよいのだ。

向き合う信徒に尊天は無理を言わずに道を引いてくださる。

何より私が間に入りその人に合わせ引導する。

人によっては一度でわかる人もいるが

この私が開眼し、実践し、また尊天に導けと言われるておる

自在のを成す真理、思想は尊天の御誓願の尊天は最大の核心なのだ。

それを実践しようと一念発起できれば必ずや

私の体験する数々の尊天との邂逅を実現する事ができるだろう。

その真理とは

敵をも愛する心なのである。

尊天は怖い神と言われる。

しかしその実態は、愛の塊であり

その抱き合ったお姿は万物万有、生きとし生ける者すべてを愛するお姿

そのものでその魂はそこから一つも迷う事のない輝かしい信念の光を発する

ダイヤモンドのような美しい玉魂なのである。

ではなぜ尊天は愛であり、宇宙、次元、あらゆる世界そのものなのに

地獄があるのか?この世に苦しみがあるのか?憎しみが

あるのか?

そして調伏という祈祷が尊天様には存在するのか?

という疑問が湧くと思うが、

それに答えれば、

尊天は宇宙そのものであり、宇宙を産んだ根源である。

今もこの瞬間も宇宙を創り続けている。

その始まりは無限に広がるどこまでも清らかで私達の宇宙にも現在も満ち溢れる意識に観音のような美しさが映しだされ、その意識の隆起は命の光を産み一瞬にして愛の昇華を遂げると、その昇華により放出された愛水は

空間を冷やし、三千世界を作ったからなのだと言いたい。

それ故に皆が愛の意識から愛の炎の命を沸き立たせ、慈愛の水、血液で

それぞれ万別に出来上がった姿は愛そのものなのである。

しかしながら愛とは不完全なのである。

尊く、安らかで、愛おしく、労わり合い、感謝し、求め、喜び、幸福

であるのだが

それ故に

愛故に、そこに不完全なる影が生まれるのである。

全てを愛し救おうとする尊天には憎しみの心などは無い。

そんな大きな愛が陰を見つめ救おうと思ったらどうするだろう?

尊天はどうするであろうか?

その陰を強烈に救済しようとするのである。

しかしその救済は陰から見たら恐ろしいばかりに見えるのである。

皆の周りにいる悪人と呼ばれる者を思い出してみて欲しい。

その者が一番恐れる事は何か考えて欲しい。

その者が一番つらいだろうなと思う事はなんであろうか?

それは真面目になって改心する事なのである。

形は見繕えても、尊天の求める愛の救済は

心底からの改心なのだから、長い輪廻を通しての業を

取り払うべく、この世や地獄、三千世界を創出し

修行の場を与え、宇宙のあらゆる万物万有の浄化の

救済をなさっているのである。

 

故に私は調伏はしない。

頼まれたとしても。尊天に申し上げれば。

愛の矯正、救済を強くされるのだから、尊天には

どうぞ、

誰彼、何某を愛して下さい。心に神の心を灯して下さいと拝むだけなのだ。

 

この敵をも愛する心を聖天教では大愛とさだめている。

 

それ故、我が尊天の教えでは地獄は無い。

地獄という名の尊天の愛の修行場としているのである。

 

大愛の実践など中々できなくて当たり前である。

教義上、何度もの成就を重ねて初めて気づいて、そして開眼していくものなのだし、

私も皆もこの世という修行の場で業を洗うために生まれてきた人間なのだから気負うことなく、私に調伏でも復縁でも頼めばよい。

ただ言いたいのは

私は主宰としてこのような境地にたって拝むものであるから

必ず皆の怨敵は恐ろしい程深い尊天の救済に合い

皆が思う以上の苦しみの末、愛心をえるであろう。得られなければ

地獄、煉獄とその者には愛の修行場が待ち構えている。

私は真剣にその者を尊天の如く愛す故に奇跡を起こすのである。

 

よく色んな術者、行者と呼ばれる人たちがいるが

調伏も、復縁も、

なにも不思議を起せないものがほとんどであり、

起こせたとしても、次は起こせなかったり、良い事があっても

悪い事があることを繰り返す人間ばかりである。それは何故かと言うと

上記の尊天の大愛が出来ない故に

尊天の強烈な救済の力に行者も潰され引きずられてしまっているので

このような事態が起こるのである。

よく尊天はやがて見放すというが、それは無いのだ。

上記の真理から考えて欲しい。

その者、また行者にも功徳が無い事もまた開眼させる為の救済だったりもするのだ。

良い功徳を頂くと調子のって尊天の求める魂の浄化はそっちのけで

もっとくれと逆に貪欲さをましているものには

次に祈る時は、また反省し、真摯に願ったなら、よし今度こそは見込みがあると

功徳を下さる。しかしまた裏切る。

これを繰り返したら、しばらくはほっておいてこの世の厳しさにお任せになり時をお待ちになって下さるのも当たり前といっていいからだ。

 

これは万物万有全てを愛して止まない尊天の救済の御心なのだ。

そして行者も一緒に反省の無い開眼ない心でこのような祈願の繰り返しをし、

尊天にその心をぶつけるので、

尊天は怖い、恐ろしい、罰が当たった、良い事があった。また無かったと

祈願者と一緒に狂喜乱舞を繰り返すのだ。

それを繰り返す度ごとに依頼者と行者は暗い陰の苦悩の

修行に引きずり込まれていく。

 

大愛で尊天を祭祀しなければいけないのだ…。

 

不思議がまた上記のシュレダ‐の事件の二日後に起きた。

千宰が拝みに来たときに私は自分の奇跡譚に饒舌し、

自分でも心に謙虚さを失いがちになっているなと感じていた。

千宰が帰り、私も所要を外ですまし、帰宅すると

鍵が無い。

私はドア前で尊天のお堂に向かって自分の心の至らなさ。

敵をも愛する大愛を誓いながらどこかに微塵でも

憎しみの陰を創ってしまっていたのかを回帰反省し

助けて下さいと心から願い手を合わせた。

するとガチャリと勝手に玄関のドアが開いたのである。

中に入り尊天の前で、私は心を正し、もう一度大愛の行を誓った

そして大愛を試されたのですね?

そうお聞きしたら。

一番大吉の御籤がでたのだ。

 

大愛を誓い祈祷、人生に挑む私にさえ

常に浄化の導きを下さり、戒め、お試しになる、尊天様とは

そんな強烈な愛をお持ちの御方である。

 

御神籤と言えば今年も年頭の御神籤を教主の務めとして

お聞きした。

発表する前に付け加えれば、スタップ細胞は何度お聞きしても

絶対にあるそうである。

報道がどうであれ、これだけあると尊天が言うのだから

私は信じる。

 

言い張るが、絶対にある。

また去年は足がしびれ、二三枚しか御神籤をひかなかったお陰で

年の後半は大分気候が荒れたが

わたしがお聞きしなかっただけだ。

それ故今回はしつこい程きかせて頂いた。

 

今年は、エボラのような怖い病気が蔓延すると言われている。

これは正月前からおっしゃっていて、

今年後半災害が連発し、そういえば64番の御神籤が事ある事にでていたのを怠惰の気持ちでやり過ごしていた事に気付き、その反省から

お聞きしたお言葉なので、この言葉を見て防ぎようのある

お仕事についている方は是非、力を入れて対策して欲しい。

 

また地震は東日本で大きな地震が起こる。

 

台風、水害は、三月~十月迄度々起こりうるが六月までの前半が

注意が必要と出た。

西、東に去年と同じような推移が見られると出た。

しかし、去年と同じなら、何故何度も激しさを増すはずの

後半では無く六月までの前半をなんども何故おっしゃるのか

そこが私も不安で判らなかった。

 

政治経済は

日本経済は横ばいで上がることはないが、下がろうとする動きを政府がよく対策し、今の景気が続く。

アメリカ経済は大統領が人事で明暗を分け、うまく行けば良し、失敗すれば波乱を招くと出た。

日韓関係はお隣でこれも人事において変化あり

この影響でちょっとしたきっかけが出来、良好に向かう年になるそうである。

また東南アジア諸国国境海域と日本国境海域のいざこざも去年と変わらずだということだ。

 

しかし、よく考えると去年少しの御神籤で国境線で一悶着あるという尊天のお言葉を考えたら。

災害はわたしがお聞きしなかったが、

去年の国境海域でのイザコザと事故は的確であっしゃったと振り返ると

尊天の妙智の力に涙がでる。

 

以上が恒例の予見である。

悪い予見は私が懸命に祈祷し無くなるように祈願する。

やもえず起きた時は救済の祈祷を供に祈って欲しい。

本当に切に祈る。

 

今年の最後の祈祷は時間を少し遅らせた。

何故なら、私は常に寒い日や、熱い日

路上で生活している人にお金を布施しにいくのだ。

「今日は寒いですから、何か食べて頑張って下さい。お体に気を付けて」

「今日は暑いですから、これで水分を取って下さい。頑張って下さい」

というふうに。これも大愛を常に不動にするための八愛の実践と

考え、その行為の一動作に、本尊の教え、愛があるよう八密を意識する。

この行為を重ねた日なぜか信徒に良い兆し、成就があるのだ。

そして今年の大晦日は特に恵まれない方が、寒さに震えていたし、

祭日に一人凍える寂しさをいつもより深く私は心に感じた。

その為、一人でも救済しようと、道すがら目で探しているうちに時間を

超過してしまったのだ。

日々の私のこの行為を聖天様が愛でいてくれるのなら

どうか起こりうる災害を止めて欲しい。

 

そして何より私の信徒の苦を抜き、楽を与え、奇跡の光を

浴びさせてやって下さい。

 

新年、私はそう大きく尊天に叫び祈りたい。

 

信徒の皆さんどうかこの2015年も

供に尊天との信仰の道を支えながら歩んでいこうではありませんか。

今年も宜しくお願い申し上げる。

 

                      合掌

 

追伸

  大愛と不倫は反比例するのでは?と思う信徒もいると思うが

それは否である。

我が尊天が説き、引導する愛は

敵をも愛す。星も、土も、全ても愛す。

真実の愛なのである。

私は浴油の時に尊天に皆からのあげものを差し上げる時

一つ一つの捧げ物を加持し、例えばお酒に例えばお団子に

あなたは尊天に捧げられるために生まれてきた仏なのだよと加持し、開眼させる。

すると自分の本来の役目と歓びを知った

それぞれの捧げものは尊天のお口に入る時に

まるで心から愛する恋人に身を任すように

歓喜、昇華して行き、尊天もまるで自分の赤子、真実の恋人を

抱きしめる時のように歓喜、感涙し、捧げ物を胎内に

入れるのである。

まさに愛の抱擁、結合である。

これは捧げ物の有難さ尊さを言っているのではない。

捧げ物が加持され求めた者はなんであったか?

尊天が求めて結合し輝いた愛、光は何であったのか?

それは真実の愛に他ならないのだ。

そしてその二つの愛の結合の度に星々と皆の願いが光り輝くのを

私は祈祷で常に感じるのである。

 

不倫は人の道に非ずと人はいう。

 

しかし、

 

真実の愛を求める道は神の道なのだと、

尊天と私は説くのである。

 

真実の愛を今年も成就させて見せよう。

 

 

最後に尊天の名誉の為に付け加える

よく尊天をいやらしくいう間違った行者がいるが

尊天の愛とはセックスに非ず、非常に美しい

万物万有人種を問わない全ての人々に対する

深い思いやりの愛、無二の愛なのであり。

見る者の心の不浄を焼き尽くす。非常に美しい真実の愛である。

 

 

 

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