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お知らせ

2016年01月31日

2016年度 年頭の御挨拶と予見

今日1月31日、年頭といっても一か月も遅らばせながらの御挨拶、

誠に申し訳無いばかりである。

千宰からの報告では信徒の皆様が私の年頭の言葉を今か今かと待ち望んで下さっていたと聞き及び

有難いと思う程、お待たせした事申し訳なく、皆様の願意を毎日お預かりしている教主という身分である我が分際を

鑑みると、まさに恩借報恩に熱く及ぶ如し心境であります。

どうかご容赦下されば幸いです。

どうやら、この年頭の一時をもって察すれば

この自戒よりはじまる今年の聖天教の活動並びに私に人生一生を課された信徒成就引導の天命をもってして、

今年の抱負を考えてみれば、

やはり、信徒の気持ちに強く報いるという言葉に帰結される、またしなければいけないのではないかと、

しきりに悟らずには居られなく、例年にもまして、そのように歩み踏みしめんと、襟を正し、奮起している次第であります。

 

信徒の皆さん、今年も心からお願い申し上げます。

 

さて、私がここまで年頭の言葉が遅れたのは

宗教活動を千宰の幇助の元創めて、はじめての事になる。

(わが聖天教の理事の一人で、この方は名古屋に在る大寺院で、真言宗の一つの衆派の官長様の娘息にあたられる方で、現在欧州の方に事情によりいらっしゃるのだが

正月のご帰国の際にも理事の方でさへ、なんの構いも出来なかった位であった)

それには訳がある。

それというのは、私の毎日不断なく行う聖天法による式次第の中でどうしてもわからない事があり、

それを聖天様に願を掛け、それまでは如何様な事があっても年始をすぎても、聖天教教主として動かんと決めたものである。

上記の理事殿への対応もこれに即したものであった。

よく、沢山の法を、学業のように法の表層ばかりを体得し

「出来た」といい、まるで菩薩のように世上に向け、己が知識を口上乱舞する方々がいる、

でもそれはあまりに浅はかである。

私は思う、一つの法の中には、私が何度生まれ変わっても獲得する事のできない無尽蔵の奇跡と喜び、愛と知恵、美しさが宿っている、

それは、表層だけ知って行っても触れる事さえ出来はしない、

それは郵便桶にあるチラシを見ているのと同じで、

そのチラシに掲載している目玉の商品と直に接し、その良さを満喫し

さてはその商品の癖までもわが身の如くに感じたりする事など

できていないのと同じなのである、

しかし、この聖天教教主兆象大宰が求め、また日々至らないまでも邁進する聖天教の

道とは、まさにチラシだはなくその宝のような品目と供に

実際に在る道、法なのである。

私は最近まで癌は簡単に治るものだと思っていた。

しかし、今年に入り、芸能人の癌でお亡くなりになった報道を多く目にして

「癌とはこのように怖いものなんだな」と

はじめて理解した。

完治しても気が抜けぬ恐ろしい病気なのだった。

私は、大体の癌を不思議と治してきた、それは手術や、治療の流れを無視したものでは無い、

私の唯一の力、聖天様の御力でもって補助する形なのだが、

もう駄目だという方も不思議と今はかくしゃくとなさっている。

ピンピンして、

「先生の御陰です。私は先生に命を捧げます」と感謝される

実は宜しく無い事なのだが私はこの言葉の重みが余り理解できていなかったのだ

それを先年、

千宰に

「先生は癌を治してしまうんですよ、そんな人どこにも今の時代インドにもいないんですよ、テレビを見て下さい、癌は怖いんですよ」

そう言われて、言われるがままに情報を見てみて初めて理解したのだ。

そう云えば私を直接支えて下さる理事の方々も

不治である免疫の病気が治ったり、この方は芸能関係の方だが、高野山の偉い方に頼んでも埒が明かず、私が直接祈祷して、十歳ばかり年下のテレビ局の方とご結婚

今は不妊に悩んでいたが、先年なんと男の子を出産したし、

弟さんが家の気からおちて脳が座礁して、一時心臓が止まったのに

なんと見事に蘇って、今は健常になった、脳腫瘍の腫瘍が無くなった事もあった。

確かにこれらは状況も考えて、私も不思議だと思った。

余談だが、

聖天教や私や千宰に問題を持ち込んだ人達が

癌になったり、お亡くなりになったり、自殺、破産をしてしまう事も不思議の一つである。

この事は実は私や千宰には悩みの種で、宗教家として例え、憎いという感情に一時は

苛まれたとしても、その人間の幸福を祈らなければいけない、

故に、そのような場合、負の思いの丈が大きければ大きいほど、その丈より

大きい慈愛の心をもってその方々の無事を私なりに誠心誠意祈っているのだが

結果、そうはならない。どうにもならない。

 

話は大分それてしまったが、要するに

私が日々求道する上に於いて、今年、さらなる信徒様への

喜びの開眼に導く為、

聖天教のより深い開眼開花を求め、聖天様に願を掛けたのである。

 

それは、発願、、五大願、普供養三力の後、

何故私にだけ

佛部三昧耶、蓮華部三昧耶、金剛部三昧耶を

唱えさせるのか?

 

聖天様に御神籤でお聞きしても、51番修行しろの一点張りだった

そのような私と聖天様との子弟、親子とも云える葛藤があったのだ、

 

聖天法は物語だ

 

聖天様が、そして私が、そして悩める信徒様を牽引し、

一つの魂が解脱する壮大なオペラなのだ、

私はそれを命を懸け、供じ、矜持、不断無く演ずる

この壮大な式次第には、

全てに、身と命と魂が吹き込まれ、一つ一つの真言に

オペラの一幕一幕があり、

やがてそれは

私にしか出来ないある秘密の取引にクライマックスを迎えるのだ

そして、それはある出現を迎え、爛々たる

祈願ばかりか、一切の愛の満開を迎えたとき

一つの般若の歌を迎える。

その歌は喜びと美しさ、あらゆる感覚を喜々とした歌舞音曲で包みながら

やがて全ての宝珠は回りだし、それが一天一点に帰した時、

全ての過去、未来、思いが

一点の五知の実に宿り、目に見えない程の一天一点が

目に見えない程の大きな宇宙を遍く照らすのだ、

その刹那、その小さき一天一点が作り出すとてつもない重力は

その周辺をおおうように

三つの透明な水晶の殻を造る。

私は感じるのだ、

一つ目は

「これは運命だな」

二つ目は

「これは未来だな」

三つめは

「これは過去」

しかし、この三つの美しく鏡のような宝珠の層が

それぞれを忠実に映し出している事に私は気づく

「過去も未来もそして運命も、美しい心あってこそ円満、神の美しさ限りなし」

そして、こうも思い歎ずるのだ

「今、私は、信徒と供に天の一点に運命を点じたのだな」

そう思うと急に

三つの水晶がどこまでも何層にも深いつながりを持ちながら分離するのが見えたときたとき。

ある肉体の二層、心の一層に対し目を留めてしまうのだ、

そこには、美しく照らし出されているはずの、水晶の光を曇らさせ写すことしか出来ず苦しむ光の層が在る。

その光が捻じ曲げる光は合わせ鏡のように

その後の光を捻じ曲げているのだ、

「あ-、あれが私達人間なのだ」

私は悟る。

(私が入魂する仏像はこれを最低で百日繰り返す。その時やっと出来たと感じるものだ

聖天教では故に世にまかり通る、なんの魂もはいっていない札やお守りは凶とする、聖天様も大変に嫌がる、あれこそ人を騙している)

 

また話がそれたが

この雄大なオペラに不懸命な点があってはいけない

それを滞りなく演じる為のはじまりといっていい、

また、我が心に行法時、鶏羅山を打ち立てる前の作業として是非とも必要だったのだ、

 

この疑念が常に付きまとい、苛み、

最近は祈祷が終わるのが気が付けば、八時間にも及んでいる時があり、

それが二か月程続いた時には、いやはや体力と気力の限界を感じたのだ、

私は他の行者と違う、奇跡に責任をもつ人間である。

このような大切な事の払拭を、捨て置き、捨て置き生業に生きる訳にはいかないのだ。

 

これが悟れれば…。

 

2016年1月23日、午後8時から11時に掛け、

聖天様がもう何度目であろう、また私の夢枕に立たれた。

 

聖天様は本当に美しく

手足長く、体しなやかに細く、髪は金色に輝き、見たことのない美しい女性だった。

頭には美しい象のぼんぼりのついた冠をなさり

私は、その心に赤子のような純真とその肌に瑞々しさを感じた。

美しい頬とほんのりと赤く熱る唇は

この世の誰よりも美しく、

私は夜空のオ--ロラを思い浮かべた、

そして私は

恐る恐る、美しいその目を覗き込んだ時

その目の色が

青い瞳からあらゆる輝きを放ち、

私と視線が合致したとき

私はその瞳が、北斗七星の中心だと

何故か感じ、

余りの光の重力で私はとても

心臓が高鳴って怖くなった。

そして視線をそむけようとしたとき、

「いつも会っているでしょう」

私はそう云われ、そう云われると何となく安心して

聖天様と心臓の鼓動が同じになったなあと感じた。

すると聖天様はまた一言

「思った事が現実です」

だから明日もう一度今年の予言を聞いてみよう

私はその時なんとなくそう思うと

聖天様はマリア様のような衣服を纏ってらっしゃって

その裾から一輪の蓮の花を出された。

「あなたの応えとはこの花の事」

そう教わった時私は、あ-お釈迦様もこの花の前で全てを知ったのだな

そう私は思い、

蓮の花に目をやると、もう聖天様はいなかったが、

自分の両眼に何か聖天様の残していった光を感じた。

その目で見つめた蓮の花はなぜか種に戻っており、

宇宙という土の中に凝縮されていた。

 

その時私はとても願った。何かを懸命に祈った。

 

その途端、

種の中がレントゲンのように映り、その中に懸命に伸びようとする

私=芽が芽生えたのを感じた。

その芽は私と供に

「おん まかかろにきゃ そわか

おん はんどぼう どはんばや そわか おん ばぞろどはんばや そわか」

そう真言を唱えていたのだ。

佛部三昧耶、蓮華部三昧耶、金剛部三昧耶を唱えていたである。

 

そして間をおかず香炉取っての響き渡る金一丁。

 

私はその時悟った。

 

わたしはこの真言により、種の壁を打ち破る世界に度したのだと、渡ったのだとおもった。

そしてその先は魂の領域だと思ったとき、

虚空とは私の心、心と虚空そのものと私が感じられたのだ。

 

では今から私は命の世界に渡るが、魂、命とは?

 

その時漠然と全てが、あらゆる万物の魂、命の源は同じ

私はその狭間に今聖天様の導きで渡り、鶏羅の山を立て、心の心を上り、魂の教令輪身たる

宝宮殿に入り、聖天様の魂と一体になるのだと悟った。その境地に至りはじめて、

 

「そういえば毎日お会いしているのだなあ」

 

そう感じた。

そして私がその殻に魂命の狭間を感じた時

自然と夢の中で

四無量心を感じ唱えたのだ。そして自然とその意味と次に唱える大金剛陀羅尼

結界の意味がそこで全て理解された。

 

宝珠とは愛と心と清らかさの三層、

数限りないその層壁を乗り越えるもの

それは常に、清らかなるつぼみのような心、

そこから沸き起こる心の光、そして充満たる愛だったのである。

 

宝珠の核とはどこまで熱く愛の満たされ濃まやかだったのだ。

 

私は悟った。

そして目を覚ました時に思った事は

宝珠の壁を越えたとき、私と渡らせてくれた清らかな思い

解脱成就へと導くつぼみのような清らかな思いの化神

歓喜童子様を春の大祭で今年からは祝おう。

そうおっしゃって聖天様はおられると

深く聖天様と同感した。

 

(余談だが、聖天様が思った事は叶うと仰った事に、

信徒様で大変有名な会社を経営している方がいるのだが

たっての願いで株価が暴落するようお願いしますと云う。

株は上がった方がよいはずなのに、私はそのような株やお金には

無学であるが、取り合えず祈祷を引き受けた。

結果なんと日経平均は年初から大暴落を起こしたのだ。

あまりの聖天様の御力に私もその信徒も不思議で茫然自失であった。

そんな祈祷が日々進んでいることが脳裏に浮かんだ。私は諸用もあった事から

少し遅れたが28日の夕に訳を話し、彼に恐ろしいので祈願を辞めたいと伝えると

目的は達成したので、祈祷中止して下さいとの了承、肩を撫でおろし祈祷を

辞めたのだが、なんと今度は29日株価が急上昇し、日銀が

新たな政策を打ち出し、日本市場が安定に向かったのだ。

さすがに彼からまた連絡があり、気の強い信徒さんの

お声が震えていた。

その地位から測れない素直な気持ちと深い信仰心を

彼の咽ぶ彼の声から私は十二分に感じ、彼にはもっともっと頑張って

聖天教を支えて欲しいと、そう思った)

 

私は、自分が死んだこともないのに命の壁を破る事などできようはずがない、

突然、色んな行者が簡単に唱え常に満足をいばりちらし見せている事が

本当に軽薄で疎かな行為に感じ、先祖の残したこの法は

本当に奥が深く、

行者は金剛サッタと成ると簡単にいうが

インドの言葉に直すと、ダイアモンドサドゥ-である。その言葉の形容だけ、それだけ深いのに

時代が進み、人の気持ちが壊れ、その言葉行為の意味を施法する側が

解釈できなくなっているのだ。

丁度、わたしが聖天法で合わせ鏡のように

捻じ曲げて映し出す人間を見るようなものなのだと感じる。

そして私もそうであるあるはず、

この時代に生まれ、この時代の理念に育てられ、

そして、人間の避けられない罪を私も背負っている。

 

「私に祈祷の入り口である、結界までも行きつく事ができるのでしょうか?」

 

私はそう思い、いても立ってもいられず失礼だが寝姿のまま神前にてお聞きしてみた。

 

すると聖天様の御言葉はとても簡単なものだった。

一番「出来る」一番「もう出来ている」

 

しかし、私はそうは自分では思えない、私は

夜も遅いが千宰に夢の事を話し、御神籤の事も相談して見た。

千宰は

「御神籤で先生程的中できる人が日本にいますか?今年の御神籤だって

全部当たったんですよ!そんな人いません、夜遅いのにいい加減にしてください」

と怒られて電話を切られた。

千宰の云う事も一理あるし、私は何より彼女を信頼しているので、

気を取り直し、身を正し、

聖天様に

「さっきの美しい方は聖天様ですか」と

改めてお聞きすると、

なんとというか何というか

「一番、そうだ」

というお答えが出た。

こんな時にこんなどんぴしゃりのようなお答えがいつも御神籤で垂れ給うとは

誠に摩訶不思議である。

私は、その時、本当にこの聖天様は生きてらっしゃると感じ、

寒気では無い鳥肌を立てた。

そして最後に

私の魂は皆の魂

本当に私は毎日皆の魂に鶏羅の宝殿を立てていたのだなと悟り

とても嬉しい気持ちになった。

 

さて、続いて別にお知らせとして掲載しているが

今年からの春の大祭は歓喜童子祭りを執り行う事とした。

この歓喜童子様は私がもっとも尊敬する大行者様が聖天教の為に入魂してくださったものだ。

(この有難く尊いお方は当年既にかなりの御年を召しておられる、この御方がもし亡くなられるような事があったら、神の教えの根が断たれる位の衝撃が

表層の宗教界ばかりか、あらゆる霊魂宝珠の世界で痛恨されると感じる程の偉大な御方である、皆に明かしたいが、私は今個人的に大きな責任を背負っており

それが果たされたら、我ら聖天教の信徒と供に仰がねばいけない御方と私は思っている)

非常に有難い神仏であり、私はご本尊様の大円鏡智として、その魂の一角として祀っている。

勿論毎日浴油でお力を発して下さっている神であり、上記で話した、夢に立たれた聖天様の御声や優しさに

歓喜童子様の心の形を私確かには感じたものである。また私の不断なく行う毎日の供養と供に、入魂された偉大な行者様の魂の荘厳を感じる事の出来る

誠に、美しいながらも力強い御神体であるので、故に今年から大祭をもって祈る事は、大変な功徳になる事と感じている。また聖天様が夢枕に立たれ感じたからには

その美しさを讃え、秋の大祭は十一面様を讃えるものとしたいとも感じている。

 

それとともに、千宰の方にバレンタインデ-の特別祈祷の申し込みが沢山殺到しているようです。

個人的な願掛けで、掲載が遅れたこと赦してください。

こちらはホワイトデーと一緒にきちんと祈祷をします。

それと東北大震災のご祈祷は

私が、私が自費を投じて毎年行う事とするので

信徒の皆は慈悲の心だけ、私に寄越して欲しい。

聖天様に念ずれば、必ずその慈悲、別の形となって

降りそそぐ事でしょう。

 

最後にいつもの如くとても長くなってしまったが、

2016年の予言を掲載したいと思う

 

◎2016年予言

①アジアで戦争が起こるかもしれない。もし起こったとしたら超大国はアジアの大国にお互いの同盟国と

供に争い、撤退する。アジアの大国とその同盟国は極めて優勢で、世界が衝撃を受ける。

アジアの国の長い争いのはじまりを見るかもしれない。

②そして東欧の大国も超大国と事を荒立て深めて行く、聖天様が仰るには

実はもう水面下では戦争しているんだとの事

従って、今年は一時後戻りできないほどの状況に陥るとの事。しかし

まさかの歩み寄りがある。

③何故か日本はどこかの国と海上等で大勝利をおさめる。

④時期をずらした選挙で自民党が、国民の支持を得て勝利する。

憲法改正現実化の見通しを確実にする。

⑤年の瀬、中東、東欧で戦争、テロ、大量破壊兵器や細菌兵器など

大変危険な武器の使用も考慮された戦いの気運が高まる。

アジアも同じであり、ここに於いて極地的紛争ではなく

世界同時核戦争の気運が危ぶまれるかも知れない。

⑥アメリカで大地震、天災が起こる。

⑦東京で大地震が起こる。

※上記の2か国の地震どれかが起きたとしてもそれは自然現象では無い地震らしい。

⑧日本の経済、株式は必ず低迷するが

そこまでは下降しない。まして株価10000割れなどは無い。

⑨薬剤関係、叉は薬剤会社のトラブルが社会を揺るがす。

⑩アジアの大国の経済が低迷し底が見えない状況に落ちる。(東欧の大国も同じ)

⑪アメリカは低迷するも横ばい見せるゆるやかな傾斜。

⑫後は、気候などは例年通り酷かったり、酷く無かったり一喜一憂する。

※①②③と起きないにしろかなりの危険な気運状況が出来る。

④日本が国際情勢により、右傾化の度を強めていかざる負えない状態に

追い込まれて行く。

総じて恐ろしい一年になるという事なのだろう。

因みに来年はもっと怖い一年になるそうである。

 

私は宗教家である、 世に一切の争いが無くなる事を祈るばかりであり、今回ばかりは心から

はずれるように祈る。

 

最後に、

私の教えは全て

聖天法により深い境地に達した時に感得する聖天の教えを

伝え導くものである。

その教えは常に成長し、時には変容し尽きる事を知らない。

私は今回の経験から

教団の教義を改変したいと思っているし、

去年の津波からの経験からも

諸々の成就が私のみならず皆の祈願の力をもって

成す。

一人が皆を皆が一人を思い愛し導く

奇跡の力形を

聖天教にて定め創出したいと考えているし、

聖天様もそうお考えだと思う。

これは誠に聖天法に即した

理念だし、成就の上でよく完成された考えだと思うからなのだ。

(勿論個々の心願は伏してである)

今までのように他で行われて来た、個人が個人の為だけに祈り、行者が

背を伸ばし威張っていてはいけない。聖天教は全く違わなければいけないのだ。

 

従って今年の抱負として、その為に

◎教義の改変と

◎成された新しいお勤めの礼拝作法を創り、皆に配布し供に修行したいと考えている。

これも何も、夢枕に立たれた聖天様の美しきお姿と心に

導かれて思った結果であり、

遅らばせながらではあるが、今年は例年に無い

より一層の輝いた始まりを迎えられたような気がする。(予言を除いては)

 

信徒の皆様。

今年も我ら聖天教

各々、清らかに想い想い合い、聖天様を囲み成就の道を歩み、

世に聖天様の教えの国を打ち立てて行こうではありませんか。

 

合掌 聖天教教主兆象大宰

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