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お知らせ

2014年06月30日

夏の大祭を前に、殉じるという聖道

本日夜半より、改名後初めての大祭が始まる。

今年の夏の大祭は近年に無い程の大きな規模のものになった。

それだけ教団も年々成長の度を増しているのだなと実感する。

こうやって、尊天様の教えを広めようとする教団の崇高な意思に対し

こだまのように応えてくれているような感想を持たざる負えない

その功徳の恩恵に与らんと入会される現象は、我が教団の御本尊様の

奇跡、並びに、深淵な成就の現象の多大な成果への正当な市井の評価であり、この現象に対する評価の経緯の発露にこそ目をやれば

やはり聖天様の御護り、お導きを感じずにはおられないものであって

その不思議さと、妙智、神威の凄まじさには、教主である私でさえ恐ろしささえ感じる。

まずは、御本尊様を奉じ、最も我が教団の重要な行事である夏の大祭が

信徒の皆と供に、このように咲き笑う蓮の花の大輪のように

盛大に行われる事を感謝したいと思う。

さて、今回の大祭は、参加者も大変多いが、それよりも私がいつもより

違うなと感じているのは、もう一度やり直し入会し直したい、また、尊天様に日頃の非礼を大祭に参加して謝りたいという方がチラホラと見える大祭だという感想をもっている。

日頃の非礼を謝りたいという、すすんで自分の信仰を厳しく見つめようという信徒の気持ちは、尊天に直接お世話申し上げる私の立場からしては大変嬉しく、またこの信徒の為に頑張ろうという、聖天信仰を深行たらしむ姿勢に共鳴の感を覚えてならないのであって、これらの信徒様はきっといい大祭になるであろうから負に思わず上を向いて大祭に臨んで欲しい。

しかし入会を改めて望むものは、もう後が無い気持ちで頑張って欲しい。

それぞれに理由があり、そういった仕儀に至り、御本尊の御力を他を見て

悟ったのであろうから、別の視方をすれば、熱意は前にも増して旺盛なはずであるのだから、尊天の折角の大赦の慈悲を、その熱意の更なる糧にして、成就まで無駄にしてしまった日数を、信仰で取り戻して欲しいのである。

 

さて信徒の皆は

昇華の為の八愛水とそれに伴う甘露蜜の思想の実践はされておられるだろうか?

お勤めで、活用されておられるだろうか?

これらの実践は必ずや尊天の神力の発動を誘発さすものである。

大慈大悲のお心をお持ちの尊天の意向にこれは全くもって殉じた行為

思想なのであるから、自然とその殉じた行為は、尊天と同じ道を歩むばかりか気づかぬ内にその姿は尊天と同体ならしめ奇跡力を頂けるようになるのである。

そして、この大祭である。

この夏の大祭は、この期間ばかりは御本尊様を一年で一番に御歓び頂くという行事なのだから、自分の功徳とは関係が無いと思うのは間違いであり

本尊に向かい、尊敬、尊崇の念、功徳の恩恵の感謝を 本尊愛と号し、

己の気持ちを奉ずれば、それは即ち、愛水と甘露蜜の実践に

他ならないのであるから、尊天が一年で最も御歓びになられるこの日に

捧げる愛水が、功徳の昇華、成就の昇華を実らせないはずは無いのである。

であるからして、今日のテーマをここで云いたい。

今回の大祭を前に皆に言っておきたいことして上記の入会をし直し、また

非礼への謝罪を欲する姿勢の方々にとどまらず大祭参加者全員に言いたいのは

御本尊、愛染大聖歓喜天様に、殉じてみなさいという事なのである。

よく千宰からの皆への手紙をみると自分ばかりの心願の事ばかりで

この方は尊天の思想の実践をしてないな、または頭には無いな

という方をしばしば見つける、内心、浴油をかけた時の尊天の

反応からも、そう言った尊天に対しての独りよがりな人間は自ずと

結果がでてきてしまう。

しかし、どんな状況においても尊天を鑑みる事を怠らず、昇華の思想を主軸としたお勤めを実践しているなと一目でわかる者は、皆大成なる功徳を

頂いているのである。

この開きはなんであろう、簡単に一言で表現するとすれば

尊天に殉じる。

という一言の行為の開きなのである。

 

大祭は大変喜ばしく、また成就を目指す者ならこれはまた大変重要なものである。

それだけに神秘、深秘な不思議な力を頂ける日ともいえるのである。

 

そのような有難い日を無駄にしない為に、

懸命に殉じ、尊天からなにかしらの信仰の光を頂いてみてはどうかなと

思うのである。

 

余談だが、先日成就した人間がいたのだが、上記の殉じる気持ちが

少々かけている人間らしく、成就して、更にこうして欲しいとい

心願が、皆もそうであるように出てきたのだが、様子を見ていても一向に

殉じるというその気配が見受けられない。

私は千宰に、この人は成就した人間と別れるよと密かに言っておった

一週間後、案の定、彼と別れた。

私は千宰を通し、姿勢を改めるよう指導したのだが、千宰にも宜しくなく

只々、自分の心願のみを訴え騒ぎ立て、今までの成就をみてごらん、忘れたのかい?

といっても美辞麗句は慇懃なもので、全く殉じる姿勢はない。

終には別れた彼を調伏してくれという始末で、その後彼からの連絡は

途絶えてしまった。

しかし、今は彼女は昇華の実践の必要性を誰よりも熱心に語る

篤信者に変わった。

成就からの転落から本当の聖天信仰に殉じる意味の重要性を知ったのであろう。

勿論、油をかける度の聖天の顔の勇ましい事。

彼女は六日で成就し婚約した。

 

旬じる事の実行の功徳力の凄まじさと、

何より彼女の成就から学ぶべきは、上記の二者、要するに入会し直す方と

失礼を詫びる方も同じと言えるということである。

挫折したからこそ、その重要性が、わかり過ぎるほどわかるのではないか

と思うのである。

であるからして、この二者に該当する方は引け目を感じずに、より一層の

殉じるという姿勢を悟り持ったならば、彼女のような成就は当たり前のように訪れるはずである。

だからこそ、私は、この殉じるとい信仰の形を、またもって全ての信徒に対し大祭前にあたり、是非に指導、切望する事を止まないのである。

なぜなら、これは成就への正道、いや聖道といっていい、

信仰の道の歩みの教えなのであるからです。

 

参加した信徒の誰もが、聖天信仰の道に殉じる事を強く意識する。

 

そんな大祭に今年はしたいものである。

 

準備は万端である。

 

                     合掌

 

 

 

 

 

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